がんになる条件は何か


自分の症状が有機リン化合物の中毒による化学物質過敏症の症状に近いと思うようになったのは、 子供の頃の不可解な症状も説明がつくとわかったことが大きかったと思います。

私は、4歳のときから静岡の田舎で暮らすようになりましたが、5歳から6歳くらいの頃、 夜になると気分が悪くなって嘔吐する日が続いたのを覚えています。 連日のように同じ症状が続いたため、私は隣の市の住宅街にある母の実家に入院させられました。 そのとき、薬も注射も何もしないのに、空気のきれいな場所に転地して病室にいるだけで、 なぜか苦しくなくなり嘔吐も止まったため、子供心に不思議だと思ったのをよく覚えています。

春から夏にかけて、私の家周辺の空気には、パラチオンという農薬が混じっていました。 当時は、農協の指導でそのエリア一帯ではどこの家でも大量にパラチオンを散布していて、 通学路の脇にもパラチオンの空きピンが山積みされて捨てられているのをよく目にしました。

パラチオンは、あまりにも毒性が強くて問題になり、私が高校生の頃(1971年)に農薬として散布することが禁止されましたが、 1960年代の日本では、使用量の推移から見ると全国的に大量のパラチオンが使われていたようです。 パラチオンは、コリンエステラーゼ阻害剤として作用するもので、神経系を撹乱する毒性は遅効性で、 発がん性も指摘されているというもので、サリンによく似ています。

幼児の頃、私は嘔吐を繰り返してばかりいましたが、小学生の頃は結膜炎の手術を何回も繰り返すことになり、 中学生になると、毎週、朝礼のたびに倒れる起立性貧血に悩まされました。 これらの症状もパラチオン中毒に起因すると考えられると知ったときは、驚きながら納得しました。

幼児の頃から中毒を経験していたとすれば、有機リン化合物への感受性は高まっていたはずです。 それから30年近く経ってから地下鉄サリン事件に遭遇したわけですが、比較的軽い曝露であったはずなのに、 風変りな生理不順をはじめとする症状が続きました。

それまで経験したことがない症状が次々と始まるきっかけになったのは、 地下鉄サリン事件でしたが、今振り返ると、それだけが問題ではなかった気もします。 サリンとよく似た有機リン化合物は、身の回りのあちこちに今も使われています(例えば、 難燃剤をコーティングしたカーテンやカーペット、コンピュータなど)。 地下鉄サリン事件の被害者は、有機リン中毒の経験をしているので、 それ以上有害な化学物質に曝露しないように意識して気をつけなければいけないそうですが、 においも何もない有機リン化合物を避けて生活するのは簡単なことではありません。

例えば、私が14年間住んだマンションに入居したときは新築の建物で、2kmほどのところにゴミ焼却場がありました。 最初のうちはゴミ焼却場の存在を意識したことはなかったのですが、最後の3年間は、 風向きによって煙に混じる化学臭を強烈に感じるようになり、息ができなくなるような苦痛を毎日のように感じました。 家族にきくと、かすかに臭うとか、まったくわからないと答える程度のものでしたが、 私にとっては、プラスチックがくすぶるときに出るような臭いで耐えがたいもので、粘膜の炎症も再燃しました。 目の遅発症状も出て、全身的な体調不良からサリンの怖さを実感するようになった頃、子宮体がんが見つかりました。

自分の体感的な印象としては、がん特有の症状(例えば、子宮からの出血、体重減少)は、 遅発症状の再燃や悪化(例えば、鼻血、鼻水、涙、粘膜の炎症)と連動していました。 臓器摘出手術を受けた後、がんの症状が消えるのといっしょに遅発症状の再燃も止まったのが不思議でした。